データベース
国名 ブルガリア共和国 (Republic of Bulgaria)
公用語 ブルガリア語
民族構成 ブルガリア人(約83.6%) トルコ系(9.5%) ロマ(4.6%) 他(2.3%)
国家宗教 ブルガリア正教
首都 ソフィア
元相 ゲオルギ・パルヴァノフ (Georgi Parvanov)
首相 セルゲイ・スタニシェフ (Sergey Stanishev)
政体 議会共和制
国歌 愛しき祖国 (Мила Родино)
国の標語 団結は強さを生み出す (Съединението прави силата)
面積 110,910Ku
人口 7,517,973人
GDP 241億3,000万米ドル
GDP/人 3,101米ドル
通貨 レフ (BGL)
タイムゾーン UTC +2 (DST: +3)
国際電話番号 +359

 祝祭日
1月1日 新年
3月3日 ブルガリア開放記念日
4月24日 イースターマンデー
5月1日 メーデー
5月6日 聖ゲオルギの日
5月24日 ブルガリア教育文化の日
9月6日 ブルガリア統一記念日
9月22日 ブルガリア独立記念日
11月1日 民族復興運動指導者達の日
12月24日 クリスマスイヴ
12月25日 クリスマス
12月26日 ボクシングデー

 大まかな歴史
7世紀までは東ローマ帝国領。5世紀以降、スラヴ人が侵入し、次いでトルコ系の遊牧民族ブルガール人が侵攻して征服。
スラヴ人を支配下に置き、680年頃東ローマ帝国に支配を認めさせて、ブルガリア(ブルガール人の国)を建国した。(第1次ブルガリア帝国)
ブルガール人はスラヴ人より人数が圧倒的に少なかったために10世紀までにスラヴ人と混血・同化し、現在のブルガリア人が形作られた。

第1次ブルガリア帝国は、11世紀に東ローマ帝国に滅ぼされ、再び東ローマ帝国領となるが、12世紀末に再び独立した。(第2次ブルガリア帝国)

しかし、第2次ブルガリア帝国は1242年のモンゴル人の侵攻によって打撃を受けて衰退し、1393年にオスマン帝国に滅ぼされた。
以後、長くオスマン帝国の支配下に置かれた。

1878年、露土戦争に敗北したオスマン帝国がサン・ステファノ条約を受け入れたため、ブルガリアは自治公国となった。
しかしながら事実上ロシアの保護国であったことと、領土がエーゲ海まで伸張したことがロシアの南下政策を容易にさせることに対し、
イギリス、オーストリアなどが懸念を抱いた。そのため、ベルリン条約でブルガリアの領土を縮小してロシアの南下政策を牽制し、
ロシアの政治的影響を弱めさせた。

1908年、オスマン帝国で青年トルコ人革命が勃発したことに乗じて、ブルガリアは独立を宣言した。その後、1909年に国際的に独立を承認された。
ブルガリアの君主として当初はバッテンベルク家、後にはザクセン・コーブルク・ゴータ家とドイツ諸侯が迎えられた。

1941年、ナチス・ドイツと軍事同盟を締結する。1944年にはソ連の侵攻を受け、王政が廃止され共和制が成立し、ソ連の衛星国家となる。
1989年に共産党政権が崩壊し、2001年には元国王のシメオン・サクスコブルクゴツキが首相に就任した。

トラキアで紀元前4000年頃のものと思われる黄金製品の遺物を多数持つ遺跡群が確認されており、
考古学者の間で新しい「文明」なのではないかと論じられている。

 ●ブルガリアの地図と地域情報(英語)


サイトトップに戻る 

(C) Copyright 2006 SEMA Express.ltd All right Reserved